1930年代~50年代の日産の車種一覧
日産のルーツは少し複雑で、改進社(橋本増治郎)、戸畑鋳物(鮎川義介)、実用自動車製造の3つの前身があり、これらが合併して1934年に「日産自動車」の設立となりました。
国内では、1970年代まで小型車に「DATSUN(ダットサン)」のブランド名を用いています。
DATSUN名前の由来ですが、まずDATは、改進社の橋本増治郎が最初に開発した「DAT自動車」の出資者3人の苗字の頭文字であり、逃げ出すうさぎ(=脱兎)のように早いことから。
SUNは、改進社が実用自動車製造と合併した際に開発した「DATSON(初代ダット号の息子の意味を込めた)」が、SON=損と演技がわるいため、太陽を意味する「SUN」に変更されたという経緯があります。
ダットサン 14型(1935)
ダットサン 14型
「日産自動車」となってから初めて開発・製造した市販車。日本初の大量生産型の乗用車で、年間約1万台を製造し、医師の往診などに用いられた。エンブレムは「DAT=脱兎=うさぎ」である。ホイールだけでなく、実はヘッドライトの中にもDATSUNのロゴが入っている。
ダットサン トラック(1935~2002)
ダットサン 1000 トラック(G222型)1960年式の概要
ダットサン 1000 トラック(G222型)1960年式
ダットサン 1000 トラック(G222型)1960年式
ダットサン 1000 トラック(G222型)1960年式
ダットサン 1000 トラック(G222型)1960年式
ダットサンのピックアップトラックで通称ダットラ。10代目で「ニッサン」に名前が統一されて国内販売を終了したが、アジアや南米、中東では販売を継続中。5代目(1961~)は初代310型ブルーバードと外観が似ていて人気を博した。
ダットサン 15型(1936)
ダットサン 15型 フェートン
ダットサン 15型 ロードスター
14型のほぼ1年後に販売された15型にはフェートンとロードスターが存在。エンジンは722cc、最高出力は16馬力で14型より1馬力向上と着実な進歩を遂げた。スペアタイヤに関する法改正により、積載量が大幅に増えている。
ダットサン 16型(1937)
ダットサン 16型
14型の丸2年後、15型の1年後に販売された16型乗用車。722ccの16馬力と走行性能は15型と変わらないが、全長が長くなり、居住性が増した。当時の販売価格は2,100円は現在換算で760万円ほど。3ヶ月後の日中戦争開戦により生産は自粛することになってしまう。
ダットサン 17型(1938)
ダットサン 17型
日中戦争による16型生産自粛にもめげずに、1938年4月に販売。外観は16型セダンの影響が濃いが、フロントグリルの中央部分の縦棒の存在感が特徴的。内装は戦時中で純綿などの不足もあり簡素に仕上げた。
ダットサン DA(1947~)
戦後に販売されたスタンダードセダン。1947年にGHQによる自動車生産禁止令が解かれた際、日産はいちはやく自動車製造に復帰した。そのため、シャシーやエンジンはほぼ戦前のまま。ボディのみ生産のしやすさを考慮して変更を加えている。
ダットサン DB(1948~54)
ダットサン DB型
ダットサンDA型をベースに製造したデラックスセダン。日産にとって戦後初の新型乗用車。戦後の国内自動車メーカーは全体的にアメリカ車のデザインの影響を受けており、DB型はクロスレイとの類似性をよく指摘される。1950年から排気量860cc、20馬力にパワーアップ!
ダットサン DS(1950~54)
ダットサン DS型
ダットサンの高級セダン。デザインには戦後の高級車代表だったアメリカのジープの影響があると言われることが多い。1台88万円であり、大卒初任給が5,000円の時代には超高級車である。排気量860cc、20馬力を実現。
パトロール(1951~)
パトロール 4W61型
パトロール Y62型
警察予備隊(現・陸上自衛隊)への納車を目指して開発された4WD小型トラック。直6SVガソリンエンジンを搭載し、最高出力85馬力。三菱ジープとの競争入札には敗れるものの、2代目は消防署などで活躍し、6代目(2010年~)は中東の富裕層に人気のSUVとなった。
ダットサン スポーツ DC-3(1952~1954)
ダットサン スポーツ DC-3
フェアレディの前身。ショーモデルとして登場し、製造台数はわずか50台、直4気筒エンジン860ccにサイドバルブを搭載し、最高速度は80km/h。同時代の外車と比べると性能は低いが、日本車で初めて車名に「スポーツ」をつけた国産スポーツカーの元祖である。
プリンス セダン(1952~1957)
プリンス セダン AISH2型
1966年に日産が吸収合併するプリンス自動車(たま自動車)が製造した上級セダン。スカイラインの前身にあたり、当時としては最大級の1,500ccエンジンを搭載。皇太子時代の上皇陛下が愛車とされ、ご自身で運転されたことがある。
オースチン A40サマーセット(1953~1954)
オースチン A40サマーセット
オースチン A40サマーセット
イギリスの自動車会社ブリティッシュ・モーター・コーポレーションのオースチン部門とライセンス契約を交わし、ノックダウン生産(日本で組み立て販売)した車両。日産側の目的は技術の吸収・習得であったとされる。日本では通称だるまオースチンと呼ばれた。
ダットサン 110/210型(1955~1959)
ダットサン 110型
ブルーバードの前身にあたる小型車。戦後のダットサン乗用車は戦前シャシに外注した板金を乗せる製法だったが、110型からは日産が自ら設計し、全面プレス化で強度を高めた。クラウンRS型が中型タクシー市場で人気だったのに対し、小型タクシー市場で圧倒的なシェアを誇った。
オースチン A50ケンブリッジ(1954~1960)
オースチン A50ケンブリッジ B130型
ライセンス契約を結んでいた「オースチン A40 サマーセット」のモデルチェンジに伴い、日産は1500ccクラスのA50 ケンブリッジへの生産へ切り替えることとなった。ケンブリッジの走行性能は高く、初代ブルーバードやセドリックの開発に繋がる技術習得に役立った。
グロリア(1959~2004)
グロリア S40型
フーガに繋がる日産の高級セダンで販売当時の名前は「プリンス・グロリア」。当時の製造・販売はプリンス自動車で、初代と2代目の上級モデルは宮内庁にも多数納入された。2代目の愛称は「ハチマキグロリア」。4代目以降はセドリックと姉妹車となる。
ダットサン ブルーバード 1300 2ドア DX(P411型)ブルーバード(1959~2001)
ダットサン ブルーバード 1300 2ドア DX(P411型)のスペック
ダットサン ブルーバード 1300 2ドア DX(P411型)
ダットサン ブルーバード 1300 2ドア DX(P411型)
ダットサン ブルーバード 1300 2ドア DX(P411型)
日産ブルーバード P510型 1970年式
日産ブルーバード P510型 1970年式
60年代にトヨタ・コロナとBC戦争と呼ばれる販売競争を繰り広げたダットサン・ブルーバード。日本初の女性向け特別仕様車「ファンシーDX」はウィンカーと連動してオルゴールが鳴る。ハイヒールスタンドなど36点の専用装備があり、時代の先取り感がすごい。
ダットサン フェアレディ(1959~1970)
フェアレディZにつながる系譜。初代S210系は前期型ダットサン スポーツ1000、後期型ダットサン フェアレディ1200、2代目S310系はフェアレディ1500が1600に進化し、最終的に2000が追加され、当時の国産車最速の205km/hを達成。