昭和のスポーツカーを画像とともに振り返る!時代を超えて愛される国産スポーツカーの名車100選
昭和のスポーツカーには名車が数多く存在するので、1960年代、1970年代、1980年代と発売された年代ごとに分けて、人気を博した国産スポーツカーを画像とともに紹介します。
子供の頃に憧れたスポーツカー、免許を取って初めて運転したクルマなど懐かしの車を見つけてください。当時を知らなくても、「かっこいい!」「乗ってみたい」と思えるクルマがきっとあるはずです!
1960年代の国産スポーツカーの名車一覧
1964(昭和39)年の東京オリンピックの開催を前に、日本最初の高速道路である明神高速道路が開通。本格的に道路整備が進み、60年代の日本は急激にモータリゼーションが進み、スポーツカーも多数登場します。
プリンス スカイライン・スポーツ(1962年)
スカイライン・スポーツ BLRA-3型コンバーチブル
初代プリンス・スカイライン(1957~1963)に追加された国産車初のスペシャルティカーで、イタリアデザインを初採用したモデルとも。製造台数わずか60台ほど。クーペとコンバーチブルが存在し、コンバーチブルは現在3,000万円以上の値打ちも。
ホンダ S600(1964~1965年)
S600(AS285型)2ドアオープン
エスロクの愛称を持つライトウェイトスポーツ。前年発売したホンダ初のスポーツカーS500に改良、最高速度145km/hを達成。最高出力57ps/8,500rpmと回転計のレッドゾーン9,500rpmに迫るオートバイ並の超回転エンジンはまさにホンダらしさが詰まった傑作。
いすゞ ベレット1600GT(1964~1973年)
ベレット1600GT 写真は1966年モデル
愛称はベレG。国産車ではじめて「GT(レース参戦に適したスポーティーモデル)」を名乗り、日本初のディスクブレーキを採用した先進的な車だった。美しいフェンダーミラーは「ベレットミラー」とも呼ばれ1965年登場のスカイライン2000GT(スカG)と人気を二分した。
日野 コンテッサ1300クーペ(1965~1967年)
日野コンテッサ1300クーペ
日野コンテッサ1300クーペのリア部分
日野自動車が唯一自社で製造した乗用車であり、イタリアのジョヴァンニ・ミケロッティがデザインを担当。RR式のためリアがフロントより30cmほど長いデザインが特徴的。国際的な自動車のデザインコンクールで多くの賞を受賞した世界的な名車。
プリンス スカイライン2000GT(1965年)
スカイライン2000GT-B(S54B型)赤のGTエンブレムは「赤バッヂ」と呼ばれる。
シングルキャブ仕様のスカイライン2000GT-Aは青いGTエンブレム「青バッヂ」を装着。
スカイライン2000GTのベースとなったスカイラインGT
1963年にスカイラインGTが日本グランプリでポルシェ904と対等に戦いスカイライン伝説が開幕。1965年2月、GTベースの2000GTが発売。9月に廉価版2000GT-Aが登場すると2000GT-Bに改名。Aは青、Bは赤のGTエンブレムを装着、赤バッジは車好きの憧れに。
トヨタ スポーツ800(1965~1969年)
トヨタスポーツ800 UP15型 1965年式
徹底的な空力追及が生んだリアシェイプ
空気力学的な発想を取り入れて徹底的にボディを軽量化、500キロ耐久レースで1度もピットインしないなど長距離レースで強さを発揮。浮谷東次郎が大逆転優勝を成し遂げた1965年の全日本自動車クラブ選手権での走りはモーター史に残る伝説。愛称ヨタハチ。
日産 シルビアCSP311型(1965~1968年)
初代シルビアCSP311型
フェアレディ1500(SP310)ベースの高級クーペ。「クリスプカット」と呼ぶ宝石のカットのように美しい直線基調のボディデザインは、ほぼ手作業によって作られた。結果、価格が跳ね上がり販売的には成功せず総生産台数554台。博物館展示レベルの超希少車。
ダイハツ コンパーノスパイダー(1965~1968年)
コンパーノスパイダー F40K型
乗用車開発に進出したばかりのダイハツが製造したコンパーノベルリーナの屋根をなくした4人乗りオープンカー。エンジンも拡大し、最高速度は145km/h。当時のダイハツはイタリアン・デザインに傾倒しており、スパイダーもその影響が見られる。
トヨタ パブリカコンバーチブル(1963年)
パブリカコンバーチブルUP10S型 1965年式
700cc36馬力の水平対向2気筒をフロントに搭載 後輪を駆動していた
パブリカコンバーチブルUP10S型のリヤ 当時としてもかなりスタイリッシュ
パブリカコンバーチブルUP20S型 前モデルに比べ9馬力アップ
トヨタ初の大衆車パブリカをベースにしたオープンカー。UP20S型はスポーツ800と同じ790cc45馬力のエンジンを搭載。1967年に価格を引き下げて35.9万円での販売が決まると、1ドル360円時代なので「1000ドルカー」というキャッチコピーを採用する。
ホンダ S800(1966~1970年)
ホンダ S800 1966年式 初期型 バイクメーカーらしい高回転高出力エンジンを搭載
今も昔も非常に珍しい後輪チェーン駆動の初期型
S800はスポーツカーとして人気を博した。
日本だけではなく、海外でも人気が高かったホンダS800
エスロクの最高速度が145km/hに対し、エスハチは更にエンジンをパワーアップし160km/hを実現。「100マイルカー」のキャッチコピーで国内外の人気を集めた。特にヨーロッパでの評価が高く、元ハリウッド女優でモナコ公妃のグレース・ケリーも愛車とした。
ダットサン フェアレディ2000(1967~1970年)
米国でも大人気だったダットサン フェアレディ2000
ダットサンとしては最後の「フェアレディ」SR311型。当時としては特筆すべき145馬力、日本車で初めて最高速度200km/hを超えたスポーツカー。「安価かつ高性能」と米国での人気ぶりはすさまじく、ポルシェ911の販売台数を減少させたとも言われる。
トヨタ 2000GT(1967~1970年)
- トヨタ 2000GT(1967)
- トヨタ 2000GT(1967)スペック
- トヨタ 2000GT(1967)
- トヨタ 2000GT(1967)
日本の自動車史でもっとも重要なクルマの1つ。国内の自動車博物館では2000GTをメイン展示としている施設も多く、オークションでは1億の値がついたことも。直6エンジン・最高速度が220km/h、日本車初4輪ディスクブレーキ&リトラクタブルライト搭載とまさに時代の最先端にいた。
マツダ コスモスポーツ(1967~1972年)
コスモスポーツ L10B型 1971年式
今見ても未来的なボディライン 当時は車というより宇宙船に近かった
社運を賭けて実現した世界初ロータリーエンジン搭載の量産車。研究を進めたのは平均年齢25歳とまだ若いエンジニアたちで現在で約800万円と富裕層しか買えない車だが、モーターショーには常に人だかりができるほどの人気車となる。トヨタ2000GTと同じ67年5月発売。
トヨタ 1600GT(1967~1969年)
「コロG」の愛称があるトヨタ1600GT
1600GT RT55型のリア
「コロG」の愛称があるトヨタ1600GT
大きな2ドアはスポーツクーペの証 この車格で2ドアは当時かなりの贅沢
「コロG」の愛称を持つスポーツクーペ。ブルーバードとBC戦争を繰り広げた3代目アローラインコロナと同じルックスなのに、国内レースで連戦連勝と意外性もあり話題に。最後に出場したJAFグランプリで初出場のスカイライン2000GT-Rと死闘を繰り広げた。
ダットサン ブルーバード1600 SSS 510型(1967~1972年)
510型ブルーバード クーペ1600 SSSグレード
510型の直線的なシンプルデザイン 歴代モデルの中でも今なお人気が高い
第18回東アフリカサファリラリー優勝車
SSSはスーパースポーツセダンの意味で、ブルーバードスポーツモデルの象徴。510型はコロナとBC戦争を繰り広げた3代目で「プアマンズBMW」とも呼ばれ、北米でも人気に。先代410型ブルと同じくWRCサファリラリーで活躍、70年には総合優勝も成し遂げた。
スバル 1000(1966~1969年)
スバル1000 4ドアセダン
富士重工業初の小型車であり、当時少なかった前輪駆動式を採用したクルマ。「室内を広くとれる」「直進安定性が高い」などFF車のメリットを証明。シトロエンなどの海外メーカーの新車開発にも影響を与えた。1967年にツインキャブ搭載のスポーツセダンを追加。
ダットサン サニークーペ(1968~1970年)
サニークーペ(B10型)
サニークーペ(B10型)リア
初代サニーに追加されたクーペモデル。開発中のサニーが排気量1Lだと知ったトヨタは「プラス100ccの余裕」というキャッチでカローラを売り出して優勢に!しかし、サニークーペはリアのデザインがフォードの名車マスタングに似ていると評判になり、人気を盛り返した。
マツダ ファミリアロータリークーペ(1968~1973年)
ファミリアロータリークーペ海外仕様
ファミリアロータリークーペ M10A 1968年式
2台目のロータリー市販車。2代目ファミリアをベースに、コスモスポーツと同じ10A型エンジンを128馬力から100馬力にダウンして搭載。だが、コスモスポーツよりボディが軽量だったため、最高速度180km/hと走行性能は十分!海外のレースでも広く活躍。
ホンダ N360T(1968~1972年)
大ヒットしたFF式の軽自動車N360のTGのグレードが存在。スバル360の最高出力20Tシリーズ
N360Tリア
「Nコロ」の愛称を持つ軽自動車N360に、ツインキャブレターを追加したモデル。T/TS/TM/TGのグレードが存在。スバル360の最高出力20psに対し、N360は31psと高馬力だったが、Tシリーズは更に上を行く36ps・最高速度115km/hと軽カーの常識を打ち破った。
スズキ フロンテSS(1968~1970年)
フロンテSS LC10型
スズキの人気軽自動車だったフロンテの2代目LC10型に追加されたスポーツモデル。ホンダN360に対抗すべく、軽として初めてゼロヨン加速20秒を切り、最高速度は125km/h。RR式で居住性は高くなかったが、走りに振った軽スポーツとしてファンの獲得に成功。
スバル360 ヤングSS(1968~1970年)
スバル360 ヤングSS
1958年から10年近く不動の人気を維持してきたスバル360だが、ホンダN360の登場で首位陥落。ヤングSSはスポーティーさを前面に押し出す若者向けモデルとして販売。出力を36馬力まで向上させ、内装にタコメーターを装備するも、人気を盛り返すには至らず。
いすゞ 117クーペ(1968~1981年)
いすゞ 117クーペ(PA90型)1971年式
フロントグリルからリアフェンダーに至る曲線がジウジアーロっぽい
エレガントと呼びたくなる端正なボディライン
当時の国産車にはあり得なかったリアシェイプはまさにイタリアン
いすゞのフラグシップであり、クラシックカーファンに特に人気の1台。世界的名車を数多く手がけたジウジアーロ氏がデザインを担当。発売から10年間、記録上は廃車が1台も存在しない。超高級車だったのもあるが、大事に乗るオーナーが多かった証と考えられている。
トヨペット コロナマーク2 T60/70型(1968~1974年)
トヨペット コロナ マーク2(RT62型)
コロナとクラウンの中間を埋める車種として登場、1600GT(コロG)の後継となった初代マーク2。エンジンは1.6Lと1.9Lクラスがラインナップ、最上級モデルGSSには1.9LのDOHCエンジンを搭載、最高速度は200km/h。ベストセラーカーに。
ホンダ1300 99S(1969~1972年)
1300 99S(H1300型)
1300 99Sリア(H1300型)
ホンダが初めて製造した普通乗用車1300のスポーティーモデル99S。1.3Lクラスとしては異例の最高速度185km/hを達成していた。タコメーターを標準装備し、純正ホイールはPCD120.0mmという特殊規格を採用している。
日産 スカイライン2000GT-R PGC10型/KPGC10型(1969~1972年)
スカイライン2000GT-R PGC10型 4枚ドアが特徴
スカイライン2000GT-R KPGC10型「羊の皮に狼」の元祖
2ドアハードトップというその後のGT-Rのスタイルを確立
69~70年のセダンボディPGC10型は、直6エンジン、最高速度200km/h、ゼロヨン16.1秒とまさに羊の皮を被った狼。70年追加のハードトップKPGC10型はホイールベースの短縮と軽量化で更なるパワーアップに成功。「国内レース50勝の最強マシン」として伝説を打ち立てる。
いすゞ ベレット1600GTR(1969年)
前期型ベレット1600GTR 1969~1970年
1964年登場ベレGの最上位モデル。117クーペと同じDOHCエンジンを積んだ試作車ベレットGTXをもとに製造。G161W型は耐久性に優れた名エンジンだが高コストで販売価格は上がってしまう。しかし、内装はスポーティーな黒で統一し、車好きの心を掴む。
日産フェアレディZ 432 S30型 (1969~1973年)
典型的なロングノーズショートデッキデザイン
後ろ姿は淑女(フェアレディ) 中身はじゃじゃ馬
初代フェアレディZ、海外では「DATSUN Z」の名前で販売、総販売台数55万台という大記録を持つPS30型。432は「4バルブ、3キャブレター、2カムシャフト」意味し、スカイライン2000GT-Rと同じエンジンを搭載した最上級グレード。最高速度210km/hの名スポーツカー!
マツダ ルーチェ・ロータリークーペ (1969~1972年)
ルーチェ・ロータリークーペ M13P型 フロント
ルーチェ・ロータリークーペ M13P型 側面
ルーチェ・ロータリークーペ M13P型 リア
ロータリー市販車第3弾。レシプロに比べて小型設計のロータリーエンジンをフロント縦置きし、マツダ初のFF式レイアウトで居住性を高めた意欲作。最高速度190km/hとスポーツカー並の性能を持つ美しいクーペは買える人こそ少なかったが、マツダのブランド力を大いに高めた。