日産MID4

MID4はなぜ市販化されなかったのか 幻のスーパーカーの開発秘話と技術の継承

「技術の日産」が挑んだ国産スーパーカーMID4の開発秘話。ポルシェからの忠告、エンジンルームの熱問題、2,000万円超という販売価格の試算など、市販化を阻んだ壁の全貌と、ホンダNSXとの比較も合わせて紹介します。

MID4はなぜ市販化されなかったのか 幻のスーパーカーの開発秘話と技術の継承

MID4(ミッドフォー)は日産の技術を結集した幻のスポーツカー

MID4(ミッドフォー)は、1980年代に日産が開発したスポーツカーです。残念ながら市販化には至りませんでしたが、当時は「ポルシェやフェラーリにも負けない国産スーパーカーの誕生!」と多くの期待が集まりました。

開発中止から約40年の歳月が経った現在でも復活を待ち望む声は根強く、「GT-Rのようなスポーツカーを市販化できたのなら、MID4も再び日の目を見てほしい」という声が今なお聞こえてきます。

MID4とはどんな車か 日産の開発コンセプトと経緯

MID4のスペックMID4(2型)のスペック

MID4のエクステリアMID4は「ミッドシップエンジン+4WD駆動」が名前の由来

MID4のリヤビューミッドシップエンジンを搭載するトヨタMR2などと同様に、MID4も軽快なハンドリングを実現すべくエンジンを中央に置くミッドシップレイアウトを採用した

MID4のフロントビューMID4は開発費用など様々な問題があり市販化が見送られた幻のスーパーカー

MID4の開発コンセプトは、その名前が端的に表しています。ミッドシップエンジンの四輪駆動(4WD)&四輪操舵(4WS)のスポーツカーだから「MID4」です。

車名 MID4
名前の由来 ミッドシップエンジン+4WD駆動を意味する
エンジン配置 中央にエンジンを置くミッドシップレイアウトを採用
駆動方式 四輪駆動(4WD)および四輪操舵(4WS)
開発経緯 開発費用などの問題で市販化は見送られた幻のスーパーカー

日産が目指したのは「ミッドエンジン+4WD(4WS)」の国産スポーツカー

エンジンを前輪と後輪の間に置くミッドシップは、高い馬力にも対応でき、軽快なハンドリングを実現する駆動方式です。高速でのコーナリングが可能で、F1マシンではミッドシップエンジンが一般的に採用されています。

一方で、WRCなどに参戦するラリーカーはフルタイム4WDの運動性能に利点があることが知られていました。MID4の初登場時もWRCグループSへの参戦を目指したプロトタイプと説明されています。

F1カーのようなコーナリング性能と、フルタイム4WDの運動性能を組み合わせれば、すごい車になる――当時からこのメカニズムを持つ競技専用車両は存在していましたが、それを市販スポーツカーとして実現しようとしたのがMID4の挑戦でした。現代の高性能スポーツカーでも同様のメカニズムが採用されています。

1984年にトヨタが日本初のミッドシップカーMR2を発売し、1985年にマツダがターボエンジン搭載のフルタイム4WDファミリアを発売するなか、MID4のコンセプトは国産スポーツカーの可能性を追求する夢のあるものでした。

ミッドシップエンジンの特徴 前輪と後輪の間にエンジンを配置。高馬力に対応し、軽快なハンドリングと高速コーナリングが可能。F1で一般的
ラリーカーの駆動方式 フルタイム4WDが運動性能に優れWRCラリーカーに採用されている
MID4のコンセプト F1のようなコーナリング性能とフルタイム4WDの運動性能を融合した高性能スポーツカー
国内スポーツカー動向(当時) 1984年にトヨタMR2、1985年にマツダのターボ付きフルタイム4WDファミリアが登場

MID4は1985年&1987年の国内外モーターショーで披露 完成度の高さに驚きの声

MID4は1985年のフランクフルトモーターショーで初公開されました。日産はあくまで市販化の予定はないコンセプトカーと説明しましたが、その完成度の高さから市販化を求める声が相次ぎます。

それから2年後、1987年第27回東京モーターショーでブラッシュアップされたMID4-Ⅱが公開されました。1型がVG30E型DOHCエンジン搭載で最高出力230馬力だったのに対し、Ⅱ型は330馬力に向上。エンジンを横置きから縦置きへ変更したことも大きな変更点でした。

MID4(type2)主要諸元
全長 4,300mm
全幅 1,860mm
全高 1,200mm
ホイールベース 2,540mm
車両重量 1,400kg
エンジン型式 VG30DETT型 I/C V6・DOHCツインターボ インタークーラー付き
総排気量 2,960cc
最高出力 242kW(330ps)/6,800rpm
最大トルク 382Nm(39.0kgm)/3,200rpm

MID4のプロジェクト担当は「スカイラインの父」桜井眞一郎

日産は当初「MID4に市販化の予定はない」と説明しましたが、プロジェクトを担当していたのはプリンス自動車時代にスカイラインを開発した桜井眞一郎氏でした。さらに1985年の初登場時からMID4はコンセプトカーとしては異例の完成度を誇っていました。

当時の日産の状況も、内外からMID4市販化への期待に拍車をかけた可能性があります。1980年代はトヨタと日産の販売台数の差が開き始めた時期で、1984年にはトヨタがMR2で日本カーオブザイヤーを受賞しています。

「技術の日産」としてプライドをかけた名車を生み出すべき時ではないか――周囲の声に押されるように、日産も「自分たちの技術を結集した素晴らしい車を作りたい」とMID4市販化への道を模索し始めます。

プロジェクト担当者 プリンス自動車時代にスカイラインを開発した桜井眞一郎氏(「スカイラインの父」)
MID4の完成度 1985年の初登場時からコンセプトカーとしては異例の高い完成度を誇った
当時の日産状況 1980年代にトヨタと日産の販売台数差が拡大。トヨタは1984年にMR2でカーオブザイヤーを受賞
日産の方向性 「技術の日産」としてプライドをかけた名車の製造を目指し、MID4市販化を模索

MID4はなぜ市販化されなかったのか 開発中止に至った3つの壁

MID4は結局、市販化されずに開発中止が決定します。開発過程で得た技術は他の車に応用されましたが、市販化を阻んだ問題とは何だったのでしょうか。

問題1 ポルシェからの忠告「スーパーカーを作るには覚悟が必要」

1型・2型どちらの試作車も好評だったMID4。市販化の道を模索する過程で、日産の車両実験部員・武井道男氏は4WDシステムを採用した画期的なスーパーカーであるポルシェ・959の開発に携わったヘルムート・ボット氏に相談します。

その際に得た忠告が「予算や時間の制約があってはスーパーカーはできない。開発に全社が協力する体制が不可欠で、現場の人間には大変な覚悟が必要」というものでした。ポルシェ・959は当時ポルシェが持てる技術を結集した車でしたので、この助言には説得力がありました。

相談相手 ポルシェ・959開発に携わったヘルムート・ボット氏
忠告の内容 予算や時間の制約があるとスーパーカーは作れない。全社協力体制と開発者の覚悟が不可欠

問題2 市販化には1年以上の再開発が必要な技術的課題があった

モータージャーナリスト等から「コンセプトカーとして異例の完成度」と高く評価され試乗会も行われたものの、MID4は設計上エンジンルームの熱が上手く逃げない可能性があり、1年以上の再開発が必要な状態でした。

技術的な問題は開発を続けることでクリアできる可能性もありましたが、先行きが見えないなかで開発費用・人件費をかけ続けることは経営上の大きなリスクです。ポルシェのボット氏の助言通り、会社が採算度外視で開発に臨めるか、現場に「絶対に完成させる」という強い意志があるかどうかが問われました。

技術的課題 エンジンルームの放熱問題があり、1年以上の再開発が必要と判断された
経営的リスク 開発費用・人件費の増加が経営リスクとなり、採算度外視の覚悟が必要

問題3 販売価格の試算は1台2,000万円超 本当に売れるのか

MID4の販売価格の試算が2,000万円を超えたという話もあります。後年、GT-R NISMOが1,800万円超の価格で販売されましたが、1980年代当時はそのような価格帯の車は国内に存在していません。

1967年発売のトヨタ・2000GTも約2,400万円という価格で「カローラが6台買える」と言われましたが、それでも赤字価格で採算が合わなかった前例があります。広告効果的な側面も大きかった2000GTと、1980年代の日産を取り巻く状況は異なりますが、2,000万円超の車を採算に乗せることがいかに困難かは想像に難くありません。

販売価格試算 MID4の販売価格は約2,000万円を超えると試算された
比較事例(トヨタ) 1967年のトヨタ・2000GTは約2,400万円でも赤字。広告費用的な側面が大きかった

結論 日産が選んだ道は開発中止

ポルシェ側の助言が会社レベルの決定にどの程度影響したかは不明ですが、予算や時間の制約があっては本物のスーパーカーはできないというのは納得せざるを得ない事実です。

ポルシェ社のブランドの中心はスポーツカーであるのに対し、日産は大衆車を多く製造する自動車メーカーという立場の違いは明らかです。最終的に日産自動車としてとるべき道を考えた結果の「開発中止」は、ある意味では自然かつやむを得ない判断だったともいえるでしょう。

MID4が与えた影響 スカイラインやフェアレディZの名車へ受け継がれたメカニズム

市販化には至りませんでしたが、MID4の開発過程で得た技術は1980〜90年代の日産車に確かに受け継がれました。

1989年に発売されたフェアレディZ(Z32型)にはVG30DETT型エンジンが搭載され、同年発売のスカイライン(R32型)GT-Rには4WD+4WSの組み合わせが採用されています。MID4は市販こそされませんでしたが、日産のスポーツカー史に確かな足跡を残したのです。

フェアレディZ32型 1989年発売。MID4由来のVG30DETT型エンジンを搭載
スカイライン(R32型)GT-R 1989年発売。4WD+4WSシステムを採用

ホンダNSXはMID4に代わって誕生した日本のスーパーカー

1990年にホンダが発売したスポーツカーNSX。F1レーサーのアイルトン・セナが開発に関わるなど話題性も十分で、日産がMID4のようなスーパーカーに夢を見た時代に、ホンダが「世界に通用するスポーツカーを作りたい」という思いを実現させた車です。

バブル絶頂期に発売されたNSXは「日本初のスーパーカー」とも評された

日産のMID4の試算が2,000万円だったのに対し、ホンダNSXの発売当初の価格は800万円超でした。バブル期だったこともあり手が届く購買層がしっかりと存在していました。

発売翌年のバブル崩壊でキャンセルが相次ぐ問題もありましたが、初代NSXは2005年の生産終了までに国内外で約1万8,000台を販売し、「日本初、日本唯一のスーパーカー」と評されたこともあります。MID4が市販化されていれば、同時代のライバルとなり得て、また違った時代を築いたかもしれません。

なお、2代目NSXは2016年に発売されましたが、2022年12月をもって生産終了となっています。

初代NSXの価格 発売当初は800万円超。MID4の試算(約2,000万円)より安価
初代NSXの販売実績 2005年生産終了まで国内外で約1万8,000台販売
2代目NSX 2016年発売、2022年12月に生産終了

日産GT-RとホンダNSX 1980〜90年代に実現しなかった競演

日産はMID4の実現こそなりませんでしたが、2007年にスカイラインから独立させた「GT-R」を発売しています。またホンダは2016年に2代目NSXを発売しましたが、前述のとおり2022年12月に生産を終了しています。

それぞれ個性の異なるスポーツカーではありましたが、1980〜90年代に実現しなかった日産とホンダの競演が一時的に実現したと見ることもできます。MID4という幻の車が種をまいた夢は、形を変えながらも日本のスポーツカー史の中に生き続けています。

日産GT-R 2007年にスカイラインから独立して発売開始
ホンダ2代目NSX 2016年発売、2022年12月に生産終了

「日産MID4」の名前は日本の自動車史に刻まれている

MID4

MID4は、紆余曲折の末に市販化に至らなかったコンセプトカーのひとつに過ぎません。しかし、開発中止後もトミカやプラモデルでMID4モデルが販売されており、「幻の車」ゆえの根強い人気がうかがえます。

現在MID4の実車は、日産座間工場内にある「日産ヘリテージコレクション」に保管されています。一般見学の申し込みも受け付けており、日産の記念イベントなどでお披露目されることもあります。

市販化に至るまでには、ひっそりと名前も知られずに終わるコンセプトカーやテストカーが必ずあるものです。その点、MID4は日産が技術の粋を結集して夢を託した車、そしてスカイラインGT-RやフェアレディZなどの名車に影響を与えた車として、今後も語り継がれていくことは間違いありません。