日産MID4

MID4が「幻のスーパーカー」と呼ばれる理由!なぜ日産は開発をやめた?

MID4は日産が80年代に開発したスポーツカーで発表時「日本初のスーパーカー」と期待されていた車。ポルシェ・959を開発陣からの忠告や採算のとれなさから市販化前に開発中止となったが車ファンの人気が高く、プラモデルやトミカでその姿を見ることも。MID4が日産に与えた影響を考察。

MID4が「幻のスーパーカー」と呼ばれる理由!なぜ日産は開発をやめた?

MID4(ミッドフォー)は日産の技術を結集した幻のスポーツカー!

MID4(ミッドフォー)は、1980年代に日産が開発していたスポーツカーです。残念ながら市販化には至りませんでしたが、当時は「ポルシェやフェラーリにも負けない国産スーパーカーの誕生!」と多くの期待が集まりました。

開発中止から約30年の歳月が経ったにもかかわらず、復活を待ち望む声、「GT-Rのようなスポーツカーを市販化したのならMID4も再び日の目を見てはいいのでは?」といった声も時折聞こえてきます。

MID4とはどんな車?日産の開発経緯

MID4のスペックMID4(2型)のスペック

MID4のエクステリアMID4は「ミッドシップエンジン+4WD駆動」が名前の由来

MID4のリヤビューミッドシップエンジンを搭載する車はトヨタのMR2などが有名で、MID4も軽快なハンドリングを実現すべくエンジンを中央に置くミッドシップレイアウトを採用した

MID4のフロントビューMID4は開発費用など様々な問題があり市販化が見送られた幻のスーパーカー

MID4の開発コンセプトは、その名前がもっともわかりやすく表しています。ずばりミッドシップエンジンの四輪駆動(4WD)&四輪操舵(4WS)のスポーツカーで「MID4」です。

項目 内容
車名 MID4
名前の由来 ミッドシップエンジン+4WD駆動を意味する
エンジン配置 中央にエンジンを置くミッドシップレイアウトを採用
駆動方式 四輪駆動(4WD)および四輪操舵(4WS)
特徴 軽快なハンドリングを目指したスポーツカー
開発経緯 開発費用などの問題で市販化は見送られた幻のスーパーカー

日産が作りたかったのは「ミッドエンジン+4WD(4WS)」の国産スポーツカー

エンジンを前輪の後輪の間に置くミッドシップは、高い馬力にも対応でき、軽快なハンドリングを実現する駆動方式です。高速でのコーナリングが可能で、F1マシンではミッドシップエンジンが一般的です。

一方で、WRCなどに参戦するラリーカーは運動性能が高いフルタイム4WDに利点があることが知られていました。MID4も初登場時はWRCグループSへの参戦を目指したプロトタイプと説明されています。

F1カーのようなコーナリング性能と、フルタイム4WDの運動性能を組み合わせたら、すごい車になる(実際に当時から競技専用車両としては存在しており、現代の高性能スポーツカーの中には同じメカニズムを採用したものもあります)。

1984年にトヨタが日本初のミッドシップカーMR2を販売し、1985にマツダがターボエンジン搭載のフルタイム4WDファミリアを販売するなか、MID4のコンセプトは国産スポーツカーの可能性を追求する夢のあるものでした。

項目 内容
ミッドシップエンジンの特徴 エンジンを前輪と後輪の間に配置し、高馬力に対応。軽快なハンドリングと高速コーナリングが可能。F1で一般的。
ラリーカーの駆動方式 フルタイム4WDが運動性能に優れ、WRCラリーカーに採用されている。
MID4の目的 F1のようなコーナリング性能とフルタイム4WDの運動性能を融合した高性能スポーツカーの開発。
競技車両の存在 同様のメカニズムを持つ競技専用車両が当時から存在し、現代の高性能スポーツカーにも採用されている。
国内スポーツカー動向 1984年にトヨタMR2、1985年にマツダのターボ付きフルタイム4WDファミリアが登場し、MID4の夢あるコンセプトを追求。

MID4は1985年&1987年の国内外モーターショーで披露!完成度の高さに驚きの声

MID4は、1985年、フランクフルトモーターショーで初公開されます。日産はあくまで市販化の予定はない、コンセプトカーの1つと説明しましたが、完成度の高さから市販化を求める声が相次ぎます。

それから2年後、1987年第27回東京モーターショーでブラッシュアップしたMID4-Ⅱが公開されます。MID4の1型がVG30E型DOHCエンジン搭載で最高出力230馬力だったのに対し、Ⅱ型は330馬力。エンジンを横置きから縦置きに変更したのも大きな変更点でした。

MID4(type2)主要諸元表
全長 4,300mm
全幅 1,860mm
全高 1,200mm
ホイールベース 2,540mm
車両重量 1,400kg
エンジン型式 VG30DETT型 I/C
V6・DOHCツインターボ インタークーラー付き
総排気量 2,960cc
最高出力 242kW(330ps)/6,800rpm
最大トルク 382Nm(39.0kgm)/3,200rpm

MID4のプロジェクト担当は「スカイラインの父」桜井眞一郎

日産は当初「MID4に市販化の予定はない」と説明しましたが、プロジェクトを担当していたのは日産に合併されるプリンス自動車時代にスカイラインを開発した桜井眞一郎氏。しかも、1995年の初登場時からMID4はコンセプトカーにしては異例の完成度の高さを誇っていました。

また、当時の日産の状況も、内外からMID4市販化への期待に拍車をかけた可能性があります。1980年代はトヨタと日産の販売台数の差が開きはじめた時期。1984年にはトヨタはMR2で日本カーオブザイヤーを受賞しています。

「技術の日産」としては、今こそプライドをかけて名車を産みだすのはないか。
周囲の声に押されるように、日産も「自分たちの技術を結集した素晴らしい車を作りたい」とMID4市販化への道を模索していきます。

項目 内容
プロジェクト担当者 プリンス自動車時代にスカイラインを開発した桜井眞一郎氏(「スカイラインの父」)
MID4の完成度 1995年の初登場時からコンセプトカーとしては異例の高い完成度を誇った
当時の日産状況 1980年代、トヨタと日産の販売台数差が拡大。トヨタは1984年にMR2でカーオブザイヤー受賞
日産の思惑 「技術の日産」としてプライドをかけ、技術を結集した名車の製造を目指し、MID4市販化を模索

MID4はなぜ市販化されなかった?MID4開発の3つの壁

MID4は結局、市販化されずに開発中止が決定します。もちろん開発過程で得た技術は他の車に応用されましたが、なにが問題だったのでしょうか。

問題1.MID4市販化にポルシェからの忠告「スーパーカーを作るには覚悟が必要」

1型、2型どちらの試作車も好評だったMID4。市販化の道を模索する過程で、日産の車両実験部員・ 武井道男氏は、4WDシステムを採用した画期的なスーパーカーであるポルシェ・959の開発に携わったヘルムート・ボット氏に相談します。

その際に「予算や時間の制約があってはスーパーカーはできない。開発に全社であげて協力する体制が不可欠であり、現場の人間には大変な覚悟が必要」といった助言を得ます。

ポルシェ・959は、当時ポルシェが持てる技術を結集して作った車でしたので、説得力があったのは想像に難くありません。

項目 内容
市販化の模索 1型・2型試作車は好評で、市販化を目指していた
相談相手 ポルシェ・959開発に携わったヘルムート・ボット氏に相談
忠告の内容 予算や時間の制約があるとスーパーカーは作れない。全社協力体制と開発者の覚悟が不可欠
背景 ポルシェ・959は当時の最新技術を結集した車で、助言の説得力が高かった

問題2.「完成度が高い」と言われていたが、市販化には更に数年を要する

日産はMID4の市販化を実現するために技術的な課題も抱えていました。モータージャーナリスト等から「コンセプトカーとして異例の完成度を誇る」とべた褒めされ、試乗会も行われたものの、MID4は設計上エンジンルームの熱が上手く逃げない可能性があったため、1年以上の再開発が必要な状態だったのです。

もちろん技術的な問題に関しては、開発を進めることでクリアできる可能性も大いにあります。ただ、先行きが見えないなか、開発費用や人件費をかけるのは経営上大きなリスクを要します。
ポルシェのボット氏の助言の通り、会社が採算を度外視して開発できるか、現場の人間に「絶対に完成させて見せる!」という気概があるかどうかが求められます。

項目 内容
完成度の評価 コンセプトカーとして異例の高い完成度を持ち、モータージャーナリストからも好評
技術的課題 エンジンルームの熱が逃げにくく、1年以上の再開発が必要だった
技術問題の可能性 開発を進めれば技術的課題は解決可能と見込まれていた
経営的リスク 開発費用・人件費の増加が経営リスクとなり、採算度外視の覚悟が必要
求められる姿勢 会社の全社的な支援と、現場の強い意志「絶対に完成させる!」が不可欠

問題3.MID4の販売価格は1台2000万!開発を続けて本当に売れるのか?

MID4は、販売額の試算が2,000万円を超えたという話もあります。2000年以降、カルロス・ゴーン体制下で日産はGT-R NISMOを1,800万円超の値段で販売していますが、1980年代当時はそんな価格帯の車は国内には存在していません。

ちなみに1967年販売のトヨタ・2000GTは2,400万円近い価格で、当時「カローラが6台買える」とも言われましたが、それでも赤字価格で採算が合いませんでした。2000GTに関しては、広告費用的な側面も大きかったですし、1960年代後半と1980年代では自動車メーカーの状況も変わっている点を考慮しなくてはなりません。

項目 内容
販売価格試算 MID4の販売価格は約2,000万円を超えると試算された
比較事例(日産) 2000年以降、カルロス・ゴーン体制の日産はGT-R NISMOを1,800万円超で販売
比較事例(トヨタ) 1967年のトヨタ・2000GTは約2,400万円で、当時はカローラ6台分の価格
価格と採算性 2000GTは赤字価格で販売され、広告費用も大きかった
時代背景 1960年代後半と1980年代では自動車業界の状況が異なり、考慮が必要

結論:日産自動車としてとるべき道は開発中止!

ポルシェ側の助言が会社レベルの決定にどの程度の影響したのかは不明です。しかし、やはり予算や時間の制約があっては本物のスーパーカーはできないというのは、納得せざるを得ません。

ポルシェ社のラインナップ・ブランドの中心はスポーツカーであるのに対し、日産は大衆車を多く製造する自動車メーカー。両社の立場の違いは、明らかです。

最終的に、日産自動車としてとるべき道を考えた結果が「開発中止」だったのはある意味では自然な、やむを得ないものだったともいえるでしょう。

項目 内容
ポルシェの助言の影響 会社レベルでどの程度影響したかは不明だが、予算や時間の制約は大きな壁
両社の立場の違い ポルシェはスポーツカー中心、日産は大衆車中心のメーカーであること
最終決定 日産は開発中止を選択。自然かつやむを得ない判断といえる

MID4が与えた影響は?スカイラインやフェアレディZの名車へ受け継がれるメカニズム

残念ながら市販化には至りませんでしたが、MID4の開発過程で得た技術は、80~90年代の他の日産車にも応用されていきました。

1989年に販売されたフェアレディZ32型にはVG30DETT型エンジンが搭載されましたし、同じ年に販売されたスカイライン(R32型)GT-Rには4WD+4WSの組合せが採用されています。

項目 内容
MID4の市販化 残念ながら市販化には至らなかった
技術の応用先 80~90年代の日産車に技術が応用された
フェアレディZ32型 1989年発売。MID4由来のVG30DETT型エンジンを搭載
スカイライン(R32型)GT-R 1989年発売。4WD+4WSシステムを採用

ホンダNSXはMID4に代わって日本に誕生したスーパーカー?

1990年にホンダが販売したスポーツカーNSX。F1レーサーのアイルトン・セナが開発に関わるなど話題性も十分。日産がMID4のようなスーパーカーに夢を見た時代に、ホンダもまた「世界に通用するスポーツカーを作りたい」と思い、そのホンダイズムを実現させた車です。

バブル絶頂期に販売されたNSXは「日本初のスーパーカー」とも評される

日産のMID4の試算が2,000万円だったのに対し、ホンダNSXは当時800万円超の価格でした。当時市販化していた国産車の最高価格ではありましたが、バブル期のため「買いたい!買える!」と手が届く購買層もしっかりといました。

販売翌年のバブル崩壊でキャンセルが相次ぐなどの問題もありましたが、NSXは2005年の生産終了まで国内外で約1万8000台を販売し、「日本初、日本唯一のスーパーカー」と評されたこともあります。
MID4がもし販売されていれば、同時代のライバルとなりえて、また違った時代を築いたのかもしれません。

項目 内容
NSXの価格 当時800万円超。MID4の試算(約2,000万円)より安価
バブル期の購買層 購入可能な層が存在し、売れ行き好調
販売実績 2005年生産終了まで国内外で約1万8,000台販売
評価 「日本初、日本唯一のスーパーカー」と称される
MID4との関係 もし市販化していれば、同時代のライバルとなり得た可能性あり

日産GT-RとホンダNSX、80~90年代に実現しなかった競演が今ここに!

日産はMID4の実現こそなりませんでしたが、2007年にスカイラインから独立させて「GT-R」を販売しています。また、ホンダは2016年に2代目NSXを販売。

日産GT-R NISMOが1,870万円、ホンダNSXが2,370万円であり、最強・最速を争う2代国産スポーツカーです。それぞれ個性の異なるスポーツカーではありますが、1980~90年代に実現しなかった日産とホンダの競演が実現していると見ることもできます。

項目 内容
日産GT-Rの歴史 2007年にスカイラインから独立してGT-Rを販売開始
ホンダNSXの歴史 2016年に2代目NSXを販売開始
価格比較 日産GT-R NISMO:1,870万円、ホンダNSX:2,370万円
特徴 最強・最速を争う2代国産スポーツカーで個性は異なる
意義 1980~90年代に実現しなかった日産とホンダの競演が現代に実現

「日産MID4」の名前は日本の自動車の歴史に刻まれている

MID4

MID4は、紆余曲折あったものの、結果だけみれば市販化に至らなかったコンセプトカーの1つに過ぎません。しかし、開発が中止されてからもトミカやプラモデルでMID4モデルが販売されており、「幻の車」ゆえに人気の高さがうかがえます。

現在MID4は、日産座間工場内にある『日産ヘリテージコレクション』に保管されています。一般見学の申し込みも受け付けており、日産の記念イベントなどではお披露目されることもあります。

市販化に至るまでには、ひっそりと名前も知られずに終えていくコンセプトカーやテストカーが必ずあるもの。その点、MID4は、日産が夢を託そうとした車、スカイラインGT-RやフェアレディZなどの人気車種に影響を与えた車として今後も語り継がれていくことは間違いありません。