軽自動車の歴史

軽自動車の排気量が660ccになった歴史を徹底調査

軽自動車の排気量の謎を解くには、日本が国策として打ち出した軽自動車誕生の1949年までさかのぼる。戦後の復興と一般家庭に自動車を広めることを目的として誕生した軽自動車はどのようにして排気量が660ccになったのか、軽自動車の歴史を振り返りながら解説。

軽自動車の排気量が660ccになった歴史を徹底調査

日本独自の自動車規格「軽自動車」を徹底調査

軽自動車は海外には存在しない、日本独自の自動車規格であることはご存じでしょうか。初めて日本で軽自動車が誕生したのは、第二次世界大戦後の1949年のことです。日本経済の復興と国民の生活水準向上を目的として、日本政府が新たな自動車規格として打ち出したのが始まりです。

軽自動車検査協会の統計データによると、2024年3月末時点での軽自動車の保有台数は3,100万台を超えており、全保有車両の約39%を占めています。この数値は、軽自動車が今や日本の普段の生活になくてはならない重要な自動車規格となっていることを示しています。1907年にアメリカから始まった量産型自動車の歴史から、日本独自の進化を遂げた軽自動車の秘密に迫ります。

1949年から始まった日本の独自規格「軽自動車規格」の変遷

赤いボディが映える軽自動車

軽自動車は日本独自の規格であり、軽自動車の歴史の中で時代背景やニーズによってその規格も変化してきました。
軽自動車として定める初めての規格が誕生したのは、1949年7月です。当時の軽自動車の規格は、全長2,800mm以下、全幅1,000mm以下、全高2,000mm以下とされ、排気量は2サイクルエンジンで100cc以下、4サイクルエンジンで150cc以下と定められました。これらの数値が、軽自動車と認められる条件でした。

サイクルとは

吸入、圧縮、爆発、排気の4つの工程をエンジンのピストンが1往復で行う仕組みを2サイクル、2往復で行う仕組みを4サイクルといいます。バイクなどの小型エンジンには2サイクルが、乗用車など大きなエンジンには4サイクルが一般的に採用されています。

1950年7月には、軽自動車の規格が二輪、三輪、四輪に区分けされました。三輪と四輪の規格は、全長3,000mm以下、全幅1,300mm以下、全高2,000mm以下に拡大され、排気量も2サイクルエンジンで200cc以下、4サイクルエンジンで300cc以下へと引き上げられました。さらに1951年8月には、三輪と四輪の排気量が再度拡大され、2サイクルエンジンで240cc以下、4サイクルエンジンで350cc以下となっています。

そして1954年10月には、エンジンの仕組みによる2サイクル、4サイクル別の排気量の上限が撤廃され、排気量は360cc以下に統一されました。この統一により、自動車メーカーは開発の方向性を定めやすくなりました。

本格的に四輪の軽自動車が登場するのは1955年以降

現役で走るスバル360

軽自動車の規格が誕生してから、本格的に四輪の軽自動車が製造され、市場に出回るまでには約5年の年月が必要でした。それまで国内でメインに製造されていたのは軽二輪車で、三輪車の製造も積極的に行われていましたが、1954年10月に行われた排気量の統一規格(360cc以下)が、その後の四輪軽自動車の歴史を大きく動かすことになります。

現在も軽自動車を販売する大手メーカーであるスズキは、1955年に「スズライト」を販売しました。その後、1958年にはスバルから「スバル360」が販売されたのに続き、ダイハツやマツダ、ホンダなどの自動車メーカーが次々と軽自動車市場へ参入し、軽自動車の黄金時代を築き上げました。この時代の車種は、日本のモータリゼーションの初期を支えました。

軽自動車の保有台数は、1963年には100万台の大台を突破し、1970年には472万台にも膨れ上がりました。しかし、爆発的に増えた保有台数は、排気ガスによる公害や交通事故の多発といった社会問題を引き起こしました。これに対応するため、国は安全対策の一環として1973年10月から軽自動車の検査制度を始めることになりました。

1976年に行われた26年ぶりの規格改定で軽自動車人気が復活

1973年に始まる第四次中東戦争の影響によるオイルショックや、より厳しい排ガス規制の導入により、一時は軽自動車人気が落ち込みました。しかし、軽自動車の利便性と経済性が見直される中、1976年1月に軽自動車の規格は26年ぶりに改定されました。

軽自動車のボディサイズは、全長3,200mm以下(200mmプラス)、全幅1,400mm以下(100mmプラス)、全高2,000mm以下に拡大され、排気量が550cc以下(190ccプラス)へと引き上げられました。この軽自動車の規格変更を受け、自動車メーカー各社は、よりパワーのある新規格の軽自動車の販売を始めました。排気量アップは、走行性能の向上にもつながりました。

1977年には今でも車名が残るホンダのアクティ、1979年にはスズキのアルト、1980年にはダイハツのミラなど、各社を代表する名車が次々と登場しました。これらの車種は、軽自動車の新たな時代を切り開きました。

1990年に軽自動車の安全性を高めるため消費増税実施に合わせて規格改定

1990年1月には、衝突安全性能など、軽自動車にも高い安全性能を求める声が大きくなり、これに対応するため軽自動車の規格が再度改定されました。全長は3,300mm以下(100mmプラス)に、全幅は1,400mm以下、全高は2,000mm以下となり、排気量が660cc以下(110ccプラス)と、全長と排気量が大きくなりました。この時期から、電子制御式燃料噴射装置を搭載する軽自動車が増え、より安全で高性能な車へと進化しました。

また、この軽自動車規格変更には、同年4月1日に迫る消費税導入の影響により普通車との価格差を是正するため、軽自動車の価値を高めるという意味合いもあったようです。軽自動車の進化は続きます。

1993年スズキから登場したワゴンRや、1995年にダイハツから登場したムーヴは、軽自動車の歴史における新たなカテゴリー、「トールワゴン」のブームを作り、軽自動車の一時代を築いた名車となっています。これらの車種は、室内の広さを求めるユーザーに支持されました。

1998年現在の軽自動車規格に改定

そして、現在の軽自動車の規格が1998年10月に改定されました。全長は3,400mm以下(100mmプラス)、全幅は1,480mm以下(80mmプラス)、全高は2,000mm以下と、軽自動車のボディの大型化が実施されました。さらに、普通車と同様の衝突安全基準が取り入れられ、定員は4人以下、貨物積載量は350kg以下という規格が設けられました。この軽自動車 規格の改定以降は、自社開発から撤退し、OEM(相手先ブランドによる生産)車を導入する自動車メーカーが増えたのが大きな特徴です。

1998年にはマツダがスズキから、日産がスズキから、スバルもディアスワゴン、プレオ、ステラをダイハツから軽自動車のOEM提供を受けることになりました。これは、軽自動車の開発コストや競争の激化が背景にあります。

2011年にはダイハツからOEM提供されたトヨタが軽自動車販売に参入し、日本の自動車メーカー全てが軽自動車を販売するようになりました。これにより、軽自動車市場の競争がさらに激化しました。

軽自動車である条件の排気量上限は660ccで最高出力は64psに自主規制している

日本の軽自動車のミニカー

現在、軽自動車として公道を走るために登録するには、以下の軽自動車 規格の条件を全て満たさなければなりません。

  • 全長3,400mm以下
  • 全幅1,480mm以下
  • 全高2,000mm以下
  • 排気量660cc以下

これらの条件が軽自動車の規格として法律で厳密に決まっています。そのため、自動車メーカーは、これ以上大きいボディサイズにすることも、排気量を上げることもできないようになっています。

また、軽自動車には、ターボチャージャー(空気をエンジンに送り込み、排気量以上のパワーを引き出すための過給器)を搭載している車種もありますが、エンジンの最大出力は64psを上回ることがないよう、各自動車メーカーが自主的に規制を行っています。これは、軽自動車の安全性を考慮した国内独自のルールです。

軽自動車は時代背景やボディサイズに合わせて段階的に660ccへと排気量アップ

日本で販売される最新の軽自動車

では、なぜ軽自動車の排気量は、550ccから1.2倍となる660ccという区切りの良い数字ではない半端な数字なのでしょうか。軽自動車の歴史は、1954年10月の排気量統一(360cc以下)により黄金時代を迎えました。元々、高度経済成長期に一般家庭にも自動車を浸透させるため、普通車よりも税制面を優遇する代わりに、排気量に制限をかけました。

この排気量制限のもと、より厳しい排ガス規制への対応や、衝突安全基準を満たすためのボディの大型化とそれに伴う重量増により、360ccでは出力が不足するようになりました。そのため、1976年には軽自動車の排気量を550ccへとサイズアップしました。

そして1998年には、当時社会問題となっていた交通事故に歯止めをかけるための安全対策の強化と、さらなるボディの大型化による重量アップに対応するため、排気量を550ccから1.2倍となる660ccへとサイズアップしました。これは、単なる排気量の増加だけでなく、エンジンの技術革新も同時に行うことで、走行性能と軽自動車の安全性を両立させる狙いがありました。

「本来の目的を達成した」軽自動車の廃止論について

度々廃止論がされる軽自動車

軽自動車の歴史は1949年から始まり、1998年に最後の軽自動車 規格改定が行われました。長い軽自動車の歴史の中で、度々「軽自動車 廃止」の動きや議論がみられることがあります。その根拠の一つとして、そもそも一般家庭に自動車を広く普及させることを目的として始まった軽自動車は、既に本来の目的を達成しているのではないか、という意見があります。

しかし、軽自動車 廃止論の背景にあるのはそれだけではありません。最も大きな問題の一つは、税金面の優遇です。現行の制度では、乗用車の自動車税(排気量1.0L以下の最低条件)は年額25,000円であるのに対し、軽自動車の軽自動車税(種別割)は年額10,800円と、2倍以上の開きがあります。この税制面の差が、軽自動車と1.0Lクラスのコンパクトカーの販売台数に大きな影響を与え、コンパクトカーが売れにくい状況を生み出しています。

また、軽自動車が日本独自の規格であるため、グローバル展開ができないことも問題点として指摘されています。日本を代表するグローバル企業であるトヨタは、軽自動車が日本市場に最適化され、海外市場から孤立している状態を「ガラパゴス化」と表現し、かねてから問題視しており、軽自動車 不要論を唱えることがあります。

さらに、軽自動車という日本独自の規格は、海外からは非関税障壁(貿易障壁)とみなされ、国際的な圧力も高まっています。このような背景がある軽自動車は、今後どのような動きを見せるのか注視していく必要があります。

日本独自の規格「軽自動車」は今後どのような進化を辿るのか注目

軽自動車

世界的にみると、排気量1.0L以下のコンパクトカーは、燃費性能や取り回しの良さから売れ筋のサイズとなっています。しかし、日本では軽自動車がその位置を独占している状態です。軽自動車は、戦後の復興を支援するため、そして一般家庭に自動車を普及させるために国策として登場しました。しかし、いまやその役割や、税制優遇のあり方を疑問視されるようになりました。独自の進化を遂げた軽自動車は、国際的な自動車規格の波に埋もれるのか、それとも新規格として世界に認められ、日本の軽自動車として更なる進化を遂げるのか、これからの自動車業界の動向に注目していきましょう。