自動車業界の偉人

【自動車業界の偉人】クルマ産業と文化の発展に貢献した50人

自動車業界の偉人とその功績を「海外編」と「日本編」に分けて解説。自動車製造のための革新的な技術を生み出した発明家やエンジニア、モータリゼーションをもたらした自動車メーカー創業者、モータースポーツ界に名前を刻んだレーサーなど、歴史に名を残した偉人50人を紹介。

【自動車業界の偉人】技術者・経営者・レーサーなど歴史に名を刻んだ50人

自動車産業の発展やクルマ文化の熟成に貢献した人物を、発明家、技術者、レーサー、経営者、実業家などからセレクトし、「自動車業界の偉人」を紹介。

「カール・ベンツ」「ヘンリー・フォード」など自動車ブランドとして名前が残っている人物もいれば、ディーゼルエンジンの生みの親「ルドルフ・ディーゼル」など、発明者として技術そのものに名前を残すケースもあります。

現在の自動車があるのは、偉大な先人たちのおかげ。
自動車産業・自動車文化の歴史に名を刻んだ人物とその偉業を解説します。

自動車業界の偉人【海外編】

原動機の動力によって車輪を回転させる「自動車」は、18世紀のフランスで誕生し、以降ドイツやオーストリアなどを含めた欧州で発展していきます。
18~21世紀にかけて、自動車の発展に貢献した海外の偉人を紹介!

ニコラ=ジョゼフ・キュニョー…世界初の「自動車」を完成

パリ工芸博物館に展示されている「キュニョーの砲車」

復元されたキュニョーの砲車 人間が操縦可能な蒸気自動車

18世紀の軍事技術者。1796年、大砲を運ぶために蒸気機関で動く世界初の自動車を開発(キュニョーの砲車)。全長7m超、時速10km/h未満。キュニョーの砲車はパリ市内で塀に衝突、世界初の交通事故を引き起こした車でもある。

ジークフリート・マルクス…ガソリンによって動く乗り物を開発

世界初のガソリン車とも言われる「第1マルクスカー」

オーストリアの発明家。ガソリン車を作った人物としてはカール・ベンツが有名だが、マルクスは特許取得をしていないものの、1870年頃にガソリン内燃機関と単純な荷車を組み合わせた「第1マルクスカー」を製作。

カール・ベンツ…現代まで伝わる本格的なガソリン車の基礎を設計

カール・ベンツ(1844~1929年)今日まで続く自動車の生みの親

1885年に完成したベンツ・パテント・モトールヴァーゲン

1885年に車体から設計した三輪の本格ガソリン車「ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン」を開発し、1888年に自動車販売店を設立。クラッチ、キャブレター、ラジエーター、水平対向エンジンなど、多数の特許を取得。

ベルタ・ベンツ…夫カールのガソリン車で世界初の「自動車旅行」を実行

ベルタ・ベンツ(1849~1944)

ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン3号車

カール・ベンツの妻であり、夫が発明した三輪のガソリン車「ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン」3号車で計194 kmの長距離自動車旅行を実行。ベンツの発明が世に広く知られるきっかけを作った。

ゴットリープ・ダイムラー…ガソリン動力の二輪車と四輪車を開発

ゴットリープ・ヴィルヘルム・ダイムラー(1834~1900)

ダイムラーが製作した自動二輪車

1886年に製作された自動四輪車

カール・ベンツと同時期、1885年にガソリンを動力とする世界初のオートバイを開発。1886年には駅馬車に内燃機関を組み合わせた四輪車の開発に成功。ヴィルヘルム・マイバッハとともに自動車販売会社を設立。

アルマン・プジョー…プジョーを世界最古の自動車量産メーカーに!

アルマン・プジョー 1999年自動車殿堂入り 自転車の販売でも財を築いた経営者

プジョーの設立は1810年頃。元はコーヒーミルの製造が主な事業だったがアルマン・プジョー(1849~1915年)が1890年にダイムラーのエンジンを用いて同一モデルの自動車を複数生産。世界初の量産車メーカーとなった。

ニコラウス・オットー…現在に繋がるガソリンエンジンの原型を製作

ニコラウス・オットー(1832~1891年)

4サイクルエンジンの概念を提唱し、製造に成功したドイツの発明家。現在でも4サイクルを「オットーサイクル」と呼ぶ。ジークフリート・マルクス、カール・ベンツ、ゴットリープ・ダイムラーなどの技術者に影響を与えた。

ルドルフ・ディーゼル…ディーゼルエンジンの発明者

ルドルフ・ディーゼル(1858~1913年)

ディーゼルエンジンを発明した技術者。研究中に爆発事故に見舞われるなどの不運も経験したが、1897年にはディーゼルエンジンの製作に成功。当初は「オイル・エンジン」と呼ばれたが、後に彼自身の名前を冠するように。

ジョン・ボイド・ダンロップ…空気入りタイヤを発明

空気入りタイヤの自転車を操縦するジョン・ボイド・ダンロップ

1840年~1921年。スコットランドの発明家。実用的な空気入りタイヤを世界で初めて開発した、タイヤブランド「ダンロップ」の創業者。元獣医師であり、家畜の腸に空気が溜まる病気から着想を得たという説も。2005年自動車の殿堂入り。

フレデリック・ヘンリー・ロイス…英国名門ロールス・ロイスの創業者

ヘンリー・ロイス(1863~1933年)

ロイス10HP 20世紀初頭の自動車としては類まれな完成度の高さを誇った

1907年生産「世界最高の自動車」と銘打たれたシルヴァーゴースト

苦学してエンジニアとなり、1904年に高性能車ロイス10HPを完成。高い信頼性が評判となり、チャールズ・ロールズともにロールス・ロイスを設立。名車シルヴァーゴーストの開発・製造にも取り組んだ。

ルイ・ルノー…ルノーの創業者でありフランス自動車産業の先駆者

ルイ・ルノー(1877~1944年)

小型自動車「ヴォワチュレット」を運転するルノー プロペラシャフト式FRの原型を既に発明していた

21歳で自動車を製造するなど技術者として才能を発揮。油圧ショックアブソーバーやドラムブレーキなどの特許を取得。1898年に兄2人と共にルノーを創業。1913年にはフランス第一位の自動車メーカーにまで成長させた。

アンドレ・シトロエン…派手好きなシトロエン創業者

アンドレ・シトロエン(1878~1935)ギャンブル好き・派手好きな性格で知られた

エッフェル塔を「CITROËN」の文字で彩る電光広告(1925年)

1919年シトロエンを創業、フランスを代表する自動車メーカーへ成長させる。急激な事業拡張による経営破綻も招くが、エッフェル塔の電光広告、将来の顧客となる子供へ向けたミニチュアカーの製造など、広告戦略に類稀な才を発揮。

ヘンリー・フォード…大量生産を実現した「自動車王」

ヘンリー・フォード 「自動車の育ての親」とも言われており1967年米国自動車殿堂入り

ベルトコンベアを流れていく部品 1913年にはライン生産方式を採用

フォード・モデルT 安価な2シーターモデル「ラナバウト」の初期型

1863~1974年。フォード・モーターの創業者。ライン方式による車の大量生産を実現し、広く大衆にも自動車を普及。1908~1927年まで販売されたT型フォードは1,500万台以上の販売台数を記録した世界のモータリゼーションの象徴。

トーマス・エジソン…EV車の開発に熱心だった発明王

トーマス・エジソンとヘンリー・フォード 1929年撮影

1969年に自動車殿堂入りを果たした発明王エジソン。1900年代から電気自動車の開発に取り組んでおり、車用アルカリ充電池などを開発している。フォード・モーター創業者のヘンリー・フォードとは友人で、生涯にわたり親交が続いた。

アルフレッド・スローン…「モデルチェンジ」を生み出したGM社長

アルフレッド・プリチャード・スローン・ジュニア(1875~1966年)

TIME誌の表紙を飾るアルフレッド・スローン(1926年)

ゼネラルモーターズを世界最大の自動車メーカーとして繁栄させた立役者。1920年代に計画的陳腐化による自動車の「モデルチェンジ」を考案。「自動車ローン」の採用や高級車~大衆車のブランド階層整理を行った。

ウォルター・クライスラー…クライスラー創業者

ウォルター・クライスラー(1875~1940年)

1875~1940年。アメリカ・カンザス州生まれ。元GMの副社長だったが、1925年「クライスラー社」を創業。1928年に「プリムス」ブランドを設立、1929年にダッジを買収し、米国ビックスリーの一角となる。1967年自動車の殿堂入り。

フェルディナント・ポルシェ…20世紀最高の自動車設計者

アウトウニオン・タイプCのエクステリア

ポルシェ・タイプ12(後の「ビートル」に繋がる試作車)

フェルディナント・ポルシェ 戦前・戦中ドイツで類まれな才能を発揮した工学技術者

1875~1951年。ポルシェ創業者にして、死後「20世紀最高の自動車設計」に選出。戦前レースカーとしては異例のミッドシップレイアウトを採用した「アウトウニオン・Pヴァーゲン」や大衆車「フォルクスワーゲン・タイプ1」などを設計。

エンツォ・フェラーリ…モータースポーツ界の偉人

エンツォ・フェラーリ(1898~1988年)

第二次世界大戦後にフェラーリの名で初めてデビューしたレーシングカー「125S」

フェラーリ・エンツォフェラーリ 2002年にエンツォに敬意を示して製作

元レーシングドライバー。引退後はアルファロメオのワークスチームのマネージャとして活躍。戦後「フェラーリ」を設立し、F1やル・マン24で数々の戦績を残し、市販スポーツカーのブランドとしても成長を遂げる。

フェルッチオ・ランボルギーニ…トラクターからスーパーカーへ!

フェルッチオ・ランボルギーニ(1916~1993年)

市販車第一号「350GTV」  1963年にトリノ・オートショーで発表

1916年生まれ。戦後にトラクターやエアコンの製造で巨万の富を得た。車好きが高じて、1962年に高級自動車ビジネスに参入。高級GTで評判を得るも、資金難もあり、フェルッチオ自身は1974年に自動車業界から引退。

バッティスタ・ファリーナ…「ピニンファリーナ」を設立したデザイナー

バッティスタ・ファリーナ(1893~1966)

1930年、後にイタリア最大のカロッツェリアとなるピニンファリーナを設立(「ピニン」は愛称だが、後に改名)。革新的なデザインの車を多数設計。戦後「ピニンファリーナ」社は数多くのフェラーリ車も手掛けている。

ウィリアム・ライオンズ…敏腕カーデザイナー兼ジャガー創業者

ウィリアム・ライオンズ(1901~1985)写真中央の黒いジャケット

SSカーズの前身であったはスワロー・サイドカー・カンパニーが初めて製造した自動車SS1

ジャガーXK120(1948~1954) デザインはウィリアム・ライオンズ自ら担当

独学でデザインを学び、自動車メーカーの見習い工やオートバイのサイドカー製造、コーチビルダーを経て、SSカーズ(ジャガーの前身)を設立。一代で名門ブランドへと成長させた。モットーは「美しい車は必ず売れる」。

コーリン・チャップマン…天才エンジニアとして知られたロータス創業者

コーリン・チャップマン(1928~1982年)1994年国際モータースポーツ殿堂入り

ロータス・マーク6 初の専用設計シャシ

市販車として大きな成功を収めたロータス・セブン(1961年)

元バックヤードビルダー。売れ残った1930年式オースチン・7に「蓮」を意味する「ロータス」と名付けてレース仕様に改造し、評判を得る。1952年から本格的なスポーツカー製造を始め、F1にも多数の技術革新をもたらした。

ブルース・マクラーレン…F1界の若き革命児

ブルース・マクラーレン(1937~1970)

1969年ドイツグランプリに出場した際のマクラーレン

ニュージランド出身のレーサーであり、「マクラーレン・レーシング・リミテッド」の創設者。マクラーレンのスピードマークはニュージランドの国鳥を表現していると言われる。1970年に32歳の若さで死去。1991年国際モータースポーツ殿堂入り。

アイルトン・セナ…「音速の貴公子」と呼ばれた天才レーサー

アイルトン・セナ(1960~1994年)

マクラーレンMP4/4を駆るセナ(1988年)

ブラジル出身。F1で3度のワールドチャンピオンを獲得し、今なお多数のファンやメディアから「史上最高のF1ドライバー」として称えられる人物。1994年サンマリノGP事故死。セナの死後、F1の安全性は大きく向上していく。

キャロル・シェルビー…コブラを産んだレース界出身のデザイナー

キャロル・ホール・シェルビー(1923~2012年)

1962年に「シェルビー・アメリカン」を設立 ACコブラなどの名車を誕生させた

1923年、アメリカ・テキサス州生まれ。アストン・マーティンにル・マン初優勝をもたらしたレーサー。引退後「シェルビー・アメリカン」を設立し、ACコブラやマスタングの上位モデルとなるシェルビー・マスタングを製作。

ジョン・クーパー…ミニ・クーパーの生みの親

クーパー・カー・カンパニーの第一号車「クーパー500」

1964年式オースティン・クーパーS

「クーパー・カー・カンパニー」を設立し、クーパー500を製作。1959年と1960年にF1コンストラクターズチャンピオンを獲得。1961年にはミニのスポーツモデル初代「ミニ・クーパー」を、1963年には「ミニ・クーパーS」を販売。

ジャンニ・アニェッリ…モータースポーツ界に多大な影響を与えた実業家

ジャンニ・アニェッリ(1921~2003年) 元フィアット会長

フェラーリF2003-GA ジャンニ・アニェッリ追悼の意味を込めて「GA」の車名が付く

本名は祖父と同じジョヴァンニ。伊最大の自動車会社フィアットに黄金時代をもたらす。1960年~80年代にかけてランチア、アルファロメオ、フェラーリなどを傘下に収め、モータースポーツに並々ならぬ情熱を注いだ。

ジョン・サーティース…二輪と四輪(F1)の両方を制したチャンピオン

「ホンダF1」でも活躍したジョン・サーティース(1934~2017年)

イングランド出身、愛称ビック・ジョン。「ホンダF1」のレーサーを務めたこともあり、引退後も関わりは続いた。2輪のロードレース世界選手権(WGP)と4輪のF1両方で世界王座を獲得した唯一の人物。2017年、83歳で逝去。

自動車業界の偉人【日本編】

日本が自国での「自動車製造」に乗り出すのは20世紀に入ってからです。20世紀はまさに「自動車の時代」と言っていいぐらい、急激に産業や文化が発展していきます。
黎明期から現代に至るまで、日本の自動車産業に貢献した偉人を紹介!

豊田佐吉…「日本の発明王」と呼ばれるトヨタグループ創業者

豊田佐吉(1867~1930年)生まれは現在の静岡県湖西市

佐吉が発明した豊田式木製人力織機(1891年特許取得)

1867年生まれ。豊田自動織機製作所などを創業したトヨタグループの創始者。10代で「世の中の役に立つことがしたい」と発明に没頭。24歳で「豊田式木製人力織機」ではじめて特許を取得。生涯で取得した発明特許は84件に及ぶ。

豊田喜一郎…「純国産自動車」の夢を追ったトヨタ自動車の創業者

豊田喜一郎(1894~1952年)

豊田自動織機製作所自動車部が完成させた初の量産車「トヨタAA型乗用車」の復元車

「トヨタ自動車工業株式会社」の創業者。1929年の欧米視察でT型フォードの生産現場に驚愕し、国産乗用車の開発を決意。1933年に豊田自動織機製作所内に自動車部を設立。1936年トヨダAA型乗用車を完成させる。

神谷正太郎…「販売のトヨタ」を築いた「販売の神様」

1898年生まれ。日本GMで凄腕ディーラーと名を馳せ、ヘッドハンティングに訪れた豊田喜一郎に入社を承諾。1950年トヨタ自販の初代社長に就任。カローラ開発時にライバル車より100cc排気量を拡大するよう要請し、大ヒットへと導く。

長谷川龍雄…初代カローラ開発責任者

長谷川龍雄(1916~2008年)初代カローラの生みの親

初代カローラ(1966~1970年)

1916年生まれ。立川飛行機で設計主務を務めた後、1946年にトヨタ自動車工業に入社。主査として初代パブリカ、セリカ、カリーナ、トヨタスポーツ800などを世に送り出す。初代カローラ開発時には「80点+α主義」を提唱。

豊田英二…「トヨタ中興の祖」と呼ばれる5代目社長

豊田英二(1913~2013年)トヨタを世界的企業にした中興の祖

1913年生まれ、1967年トヨタ5代目社長に就任。「トヨタ生産方式」を導入し、「販売5チャンネル体制」を確立。日本初のミッドシップ車MR2の開発は、英二氏が「トヨタには他と違った車があっていい」と飛ばした激に端を発する。

大野耐一…「トヨタ生産方式」を体系化

大野耐一(1912~1990年) 1932年豊田紡織に入社 生産管理に尽力

1912年生まれ。トヨタ自動車工業副社長。自動車部門創業者・豊田喜一郎が提唱していた「ジャスト・イン・タイム」を応用し、「自働化」の概念と組み合わせることで、「トヨタ生産方式」の理論を確立した。

田口玄一…品質工学「タグチメソッド」を提唱

1924年生まれの工学者・統計学者。品質工学(タグチメゾット)を考案し、トヨタや日産、フォードなどを指導。米国での評価が非常に高く、1997年に日本人としては、本田宗一郎、豊田英二に次ぐ3人目の国際自動車殿堂入りとなった。

本田宗一郎…ホンダを創業したカリスマ経営者

本田宗一郎(1906~1991)「おやっさん」「オヤジさん」と呼ばれていた

日本初のF1カーとなったRA271(1964年)

「鈴鹿サーキット」建設 本田の「田んぼをつぶすな!」の一喝で山林を切り開いてコースが作られた

1972年には低公害エンジンCVCCを発表

戦前は自動車修理の仕事で身を立てつつ、エンジンのピストンリングを研究。1946年浜松市に本田技術研究所(後に本田技研工業へ改組)を起業。世界的な二輪車メーカーへ成長を遂げた後、1960年代に四輪へも参入。F1参戦など夢を追い続けた。

藤沢武夫…ホンダを「Honda」にした経営の天才

本田宗一郎(左)と並ぶ藤沢武夫

本田宗一郎の名参謀としてホンダを世界的企業にした経営者。1949年本田と初対面し意気投合。本田は「自分は社印を見たことがない」と語るほど藤沢を信頼。「縁故での採用はしない」「社長は技術畑であるべき」という方針を公言。

中村良夫…初代「ホンダF1」チーム監督

オランダGPでジョン・サーティースと打ち合わせをする中村良夫

ホンダRA272 メキシコGPは高地開催のため中村の航空エンジニア経験が生きた

1918年生まれ。東京帝国大学工学部航空学科卒業し、中島飛行機(スバルの前身)で航空エンジンの設計を担当。1958年にホンダに入社、1964にホンダF1責任者となり、1965年メキシコGPで初優勝を果たす。モータースポーツに関する著書を多数執筆。

橋本増治郎…国産自動車製造のパイオニア

橋本増治郎(1875~1944年) 2002年日本自動車殿堂入り

1911年に日産自動車の前身「快進社」を創業。1914年に初のエンジンまで純国産の自動車「脱兎号」を発表。後の「ダットサン」ブランドはこれを由来としている。「快進社」は1931年に戸畑鋳物の傘下へ、1934年に「日産自動車」へ車名変更。

鮎川義介…「重工業王」と呼ばれた日産自動車初代社長

鮎川義介(1880~1967年)

1880年山口県生まれ。東京帝国大学卒業後、財閥入りを蹴って職工として就職。西欧の鋳物工場でも1年ほど見習い工として働く。1910年に戸畑鋳物(後の日立金属)創業をきっかけに、日産自動車を含めた日産コンツェルンを形成。

川又克二…日産「中興の祖」

フェアレディ1600 車名は川又がブロードウェイで鑑賞した『マイ・フェア・レディ』が由来

日産自動車9代目社長、任期は1957~1973年の16年。1966年に先進的な技術を多数有していたプリンス自動車を合併。スカイラインなどの車種を引き継ぎ、日産を日本第二位の自動車メーカーへ躍進させる。フェアレディやブルーバードなどの名付け親。

片山豊…アメリカ人にも慕われた「フェアレディZの父」

片山豊(1909~2015年)米国Zカーフェスティバルに招待された際の様子(日産グローバルサイトより)

1935年日産自動車入社。「全日本自動車ショウ」の初開催に尽力した後、1960年に渡米。米国日産初代社長となり、フェアレディZの開発・販売を企画。米国では「ミスターK」の名で敬愛されており、1998年米国自動車殿堂入り。

桜井眞一郎…「ミスタースカイライン」と呼ばれたエンジニア

桜井眞一郎(1929~2011年)

4代目スカイライン ハードトップ2000GT

プリンス自動車時代に桜井が開発したプロトタイプレーシングカー「プリンスR380」

初代スカイラインの開発に携わり、2代目~7代目終盤まで開発主管を務めたエンジニア。車名も桜井自身が思い付いたもので、名実ともに「スカイラインの父」。実は日本で初めてコンクリートミキサー車を発明した功績も!

百瀬晋六…初期スバルを支えた天才エンジニア

百瀬晋六(1919~1997年)写真は1943年

日本初のフルモノコック構造のスバル1500(P-1)

1919年生まれ、東京帝国大学工学部航空学科卒業。1942年に中島飛行機に入社、戦後は富士重工業で才能を発揮。自動車産業進出のための試作車スバル1500(P-1)をはじめ、スバル360、サンバーなどで設計統括を務めている。

松田重次郎…自動車メーカー「マツダ」創業者

松田重次郎(1875~1952年)

「マツダ」の実質的な創業者。1921年東洋コルク工業の社長に就任、1931年オート三輪を生産し、「MAZDA号」と名付けたことから自動車メーカーとしての歴史が始まる。戦後広島の復興に注力し、1950年の広島カープ設立の際には出資も行っている。

松田恒次…マツダの礎を築いた社長

松田恒次(1895~1970年)

1951年東洋工業社長に就任。1960年にはR360クーペを販売し、オート三輪から四輪車メーカーへと舵を切る。社運を賭けてロータリーエンジンの開発を指揮。1964年の東京モーターショーには自らコスモスポーツのプロトタイプに乗って会場入り。

山本健一…ロータリーエンジンの実用化を成し遂げた「REの父」

世界初の量産ロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツ(1967年)

ロータリーエンジン開発部部長としてコスモスポーツ発売を成し遂げたエンジニア。東大卒のエリートだが、戦後は精神的に不安定な時期も経験。寝ても覚めてもロータリーエンジンの研究に明け暮れて、世界初の実用化を達成した。

鈴木 道雄…一代でスズキの基礎を築いた創業者

浜松市にある「スズキ歴史館」に展示されている鈴木道雄の銅像

スズキ初の四輪車であり軽自動車スズライト

1887年静岡県生まれ。1909年に「鈴木式織機製作所」を創業。1950年代以降はオートバイや四輪小型自動車分野に進出し「鈴木自動車工業」へ改称。120以上の特許を取得するなど発明家としても才能を発揮。

梁瀬次郎…日本に「輸入車」を根付かせたヤナセグループ社長

梁瀬長太郎と柳瀬次郎

1945年、父・長太郎が設立した梁瀬自動車の社長に就任。戦後日本でGMブランドやベンツ、フォルクスワーゲンなどの車種を輸入販売。2004年に米国自動車の殿堂入り際には「輸出が愛国心なら、輸入は国際心」とスピーチした。

石橋正二郎…足袋から世界一のタイヤメーカーへ

ブリヂストン創業者 石橋正二郎(1889~1976年)

1889年福岡生まれ。1918年に日本足袋株式会社を設立し、足裏がゴムで滑りにくい「地下足袋」を発売。ゴム工業へ本格的に進出し、1931年ブリヂストンタイヤを設立。2002年日本自動車の殿堂、2006年米国自動車殿堂入り。

偉業を成し遂げた先人たちのおかげで今の自動車がある!

自動車業界の偉人50人を紹介しました。主な功績に関する説明を基本としましたが、そうした功績を成し遂げるまでには多くの困難があったことは想像に難くありません。偉業の裏には多大な努力や手痛い失敗があるものです。

現代に生きる私たちが自動車の「便利さ」や「楽しさ」を享受できているのは、先人たちのおかげです。興味を持った人物については、さらに個別に調べてみることをおすすめします!