サーキットの狼に登場した車たち!胸を熱くしたスーパーカーはどれ?
1970年代、日本はスーパーカーブームの真っ只中でした。全国各地でスーパーカー展示会が開催、街を歩けばスーパーカーを撮影しようとカメラを持ち歩く少年たちの姿を見かけ、F1やル・マン24時間レースなどのモータースポーツが日本人に広く知られるようになったのもこの頃です。
この日本におけるスーパーカーブームの火付け役といわれているのが1975年に週刊少年ジャンプで連載を開始した池沢さとし作『サーキットの狼』です。
連載中はスーパーカー消しゴムが大流行しましたが、連載終了から40年以上経過しているにもかかわらず、ミニカーやプラモデルなどの関連グッズがいまだに発売されているのも『サーキットの狼』のすごいところ。1970年代に少年時代を過ごした人にとっては、決して忘れられない作品なのでしょう。
サーキットの狼に登場したスーパーカーやスポーツカー30選
ロータス・ヨーロッパ、ポルシェ911、ディーノ246GT、トヨタ200GT、ランボルギーニ・カウンタックなど、『サーキットの狼』に登場した車の特徴を画像つきで解説します。
ロータス・ヨーロッパ
ロータス・ヨーロッパ・スペシャル 1972年モデル
ロータス・ヨーロッパ市販型として最高スペックを記録した最終型スペシャル
主人公・風吹裕矢の愛車であり、『サーキットの狼』を代表するスポーツカー。ロータス初のミッドシップエンジンを搭載。風吹の車は最終型「スペシャル」(1972~1975年)であり、「ビッグバルブ」と呼ばれるチューンしたDOHCエンジンを搭載。
ポルシェ911カレラRS
ポルシェ911カレラRS(1973年)スポーツグレード
73カレラのリア
早瀬佐近の愛車はポルシェのフラグシップ911。カレラRS2.7は1973年に限定生産されたグループ4用のホモロゲーションモデルであり、日本では「ナナサンカレラ」の愛称あり。世界中で語り継がれる名車であり、現在では1億近い値がつくことも。
ポルシェ930ターボ
ポルシェ930ターボ 1974年パリサロンで試作車がお披露目されて1975年より市販化
早瀬の2台目の愛車はポルシェ930ターボ。空冷フラット6にターボを組み合わせた高い運動性能は世界の度肝を抜いた。同時代のスーパーカーのスペックが比較的見込み数値なのに対し、販売当初の市販モデルでも240km/h以上は確実に出ていたと言われる。
ディーノ246GT
V6の必要性を訴えたアルフレード・フェラーリの名前を冠したディーノ246GT(1969年)
レース中に壮絶な最期を遂げた沖田の愛車。65度V型6気筒DOHCエンジンを搭載したフェラーリ唯一のV6車であり、小型フェラーリの始祖と言われる。「ディーノ」は若くしてこの世を去ったエンツォ・フェラーリの息子アルフレードの愛称。
トヨタ2000GT
トヨタ2000GT 新車当時はおよそ「カローラが6台分」の価格と言われた
トヨタ2000GT 日本車で初めてリトラクタブルヘッドライトを採用
隼人ピーターソンの愛車。トヨタとヤマハ発動機が共同開発した高級スポーツカーであり、ロングノーズ・ショートデッキのスタイリングが美しい。作者・池沢早人師氏は実際に所有したことがあり、「クセがなく余裕を感じさせてくれる車だった」と語る。
ランボルギーニ・ミウラ
ランボルギーニ・ミウラP400S(1968年~)
ミウラP400S V12エンジン搭載で大迫力サウンドを奏でる世界的名車
飛鳥ミノルの愛車。ミウラの生産期間は1966~1973年。当時としては前例がないV12エンジンのミッドシップ横置きを市販車に採用し、「ランボルギーニ」の名前を世界に轟かせる。飛鳥のP400Sは総生産台数140台、最高出力は370HP/7,700rpm。
ランボルギーニ・ウラッコ
ウラッコP300 ウラッコの総生産台数は791台 P300は190台ほど
1973~1979年生産、「2+2」レイアウトにV8エンジンを搭載した元祖ベビー・ランボルギーニ。P300モデルの最高出力は250ps/6,500rpm、最大トルクは42.0kgm/2,800rpm。モーターショーでは好評だったが、生産コストの増大に苦しむことに。
フェラーリ・365GTB/4(デイトナ)
フェラーリ・デイトナ1968年式
1968~1973年生産、「デイトナ」の愛称でも知られるV12エンジン搭載のフラグシップ・グランツーリスモ。0-60mph加速 5.4秒と当時世界トップクラスの動力性能とFRらしい操縦性の良さ、大胆かつ優美なスタイリングで人気を集めた。
日産フェアレディZ 240ZG
実際に神奈川県県警で使われた240ZG 現在は日産が保管
交通機動隊「新選組」のパトカーとして沖田が搭乗していたのはフェアレディZ 240ZG。「警視庁」となっていたが、現実世界では1972年に日産が神奈川県警察高速道路交通警察隊へ寄贈、「最強のパトカー」と呼ばれていた。
トヨタ・スポーツ800
軽量スポーツカーのヨタハチは今でも人気の高いモデル
「ヨタハチ」の愛称で知られる軽量スポーツカー(1965~1969年)。最高出力45PSの非力なエンジンにもかかわらず、空気力学に裏づけされたボディにより、最高速度155km/h。作中では後にディーノを駆る沖田が車の楽しみを覚えたマシンとして登場。
マツダ・コスモスポーツ
コスモスポーツ(1967~1972年)画像は後期型L10B
コスモスポーツ 全長4130×全幅1595×全高1165mmの2ドアクーペ
早瀬左近を慕う山岸みのりの愛車は、劇中では真紅のボディカラーが印象的だったコスモスポーツ。搭載されたのは世界で初めて量産化に成功した多気筒ロータリーエンジン10A型。発売はトヨタ2000GTと同じ1967年5月。
ランチア・ストラトス
ランチア・ストラトス・HF ストラダーレ
ストラトス・ストラダーレのリヤ
物語後半に風吹裕矢の愛車としても登場するランチア・ストラトス。総生産台数492台、「WRCタイトル獲得」という目的のためだけに生まれた孤高のマシン。ホイールベースが極端に短く、並のドライバーでは乗りこなすことが難しい。
マセラティ・カムシン
マセラティ・カムシン 個性溢れるボンネットの非対称デザイン
リヤエンドにもガラス素材を使用したエクステリア
1973~1982年生産、FRクーペ初代ギブリの後継モデルだが、2+2レイアウトを採用。ボンネット上の冷却用ルーバーが左右非対称な個性的デザイン。リヤもランプなど一部を残してガラス素材を使用しており、意外に後方視界の良いのが面白い。
フェラーリ308GTB
フィオラヴァンティの所有車と同じフェラーリ308 GTB Vetroresina
フェラーリの女豹・田原ミカの愛車は流麗なラインが美しいV8搭載のMRクーペ308GTB(1975~1985年)。デザイナーは365デイトナやテスタロッサなども手掛けたレオナルド・フィオラヴァンティで、彼自身も308GTBを愛車にするほど気に入っていた。
ランボルギーニ・イオタ
クローン・イオタ(No.3033)写真や設計図をもとにオリジナルの外観に限りなく近づけたレプリカ
潮来のオックス・関根英次の愛車。イオタはミウラをベースにしたプロトタイプスポーツカーだが、オリジナル車は既に廃車。現在は数台のレプリカが残されており、どれもプレミアム価格。画像はランボルギーニ創立40周年の記念車「クローン・イオタ」。
ランボルギーニ・カウンタック
カウンタックLP400 「最高速度300km/h」と謳われていた
シザードア(通称ランボドア)を初採用したカウンタックLP400
暴走族連合の元締めハマの黒ヒョウの愛車は「カウンタック」のファーストモデルLP400(生産台数わずか150台程度)。空力的に問題があり、公称スペックは実は結構サバ読み。しかし、そのスタイルですべてを許されるスーパーカーの象徴。
フェラーリ512BB
カウンタックに比べると落ち着いたデザインのフェラーリ512BB
ランボルギーニ・カウンタックと人気を二分したスーパーカー。5.0Lの180度V12エンジンをミッドシップ縦置きし、公称最高速度302km/h。512BBの生産は1976~1981年、マイナーチェンジモデルの512BBiは1981~1984年製造。
ジャガー・Eタイプ
1967年式のEタイプ・シリーズ1 美しさ・速さ・価格の3つを高いレベルで両立
1961~1975年製造、その美しさで世界に衝撃を与えた名車。当時としては驚異的な最高速度240km/hを記録しており、フェラーリやアストンマーチンに比べて安価な価格。「売れないわけがない」圧倒的な商品力で、米国を席巻した。
マセラティ・ボーラ
マセラティ・ボーラ(後期型)ジョルジェット・ジウジアーロがデザイン
1971~1978年製造、マセラティ初のミッドシップ・スポーツカー。開発のきっかけとしてはランボルギーニ・ミウラ(MR・V12)の存在が大きく、ボーラは「パワー志向ではないGT」として差別化し、V8エンジンが搭載された。
フェアレディZ 432
画像はフェアレディZ432 432Rは超希少車のため簡単にはお目にかかれない
初代Z(S30型)のトップグレード。432は「4バルブ・3キャブレター・2カムシャフト」の意味で、シュトコー戦闘隊『神風』のリーダー魅死魔はレース仕様車「432R」に搭乗。Rの生産台数はごくわずかのため、「幻の名車」とも言われる(画像は432)。
BMW 3.0CSL
BMW 3.0CSL ファーストモデルの最高速度は215km/h
グループ2に参戦したBMW 3.0CSL
トヨタ2000GTから隼人ピーターソンが乗り換えたのはBMW 3.0CSL(1971~1975年)。3.0CSのホモロゲーションモデルであり、「L」はドイツ語のLeicht、「軽量」の意味。実際150~200kgの軽量化に成功しており、レースで活躍。
ポルシェ914
ポルシェ914 「911」に手が届かない若者にも愛された2シータースポーツカー
ポルシェとフォルクスワーゲンが共同開発したミッドシップ・スポーツカー。「ワーゲン・ポルシェ」の愛称あり。1970年の販売開始時にはVW製水平対向4気筒モデル「914」とポルシェ911Tと同様の水平対向6気筒を積む「914/6」の2種類がラインアップ。
リジェ・JS2
リジェJS2 ボディサイズ4250×1720×1150mm
リジェJS2のリヤ
1971~1975年製作、フランスの自動車メーカー・リジェが製作した少量生産スポーツカーで、車両重量は865kgとかなり軽い。車名は元レーシングドライバーだった創業者キ・リジェの親友で、レースで他界したジョー・シュレッサーに由来。
フォード・カプリ
カプリMk1 70年代国産車のデザインにも影響を与えた大ヒットカー
1969~1986年まで欧州フォードが販売していたスペシャルティカー。Mk1、カプリⅡ、Mk3に分類されるロングセラーカーで、フルチョイスシステムを欧州で初採用したモデルでもある。日本市場では初代モデルのMk1が人気。
デ・トマソ・パンテーラ
デ・トマソ・パンテーラは大量生産に適したモノコック構造を採用
1971年生産開始。フォーミュラマシンの製作に熱心だったデ・トマソがフォードと提携。フォード製5.8LのV8エンジンをミッドシップに搭載した異端の伊米合作スーパーカー。「大量生産したい」というフォードの意向によりボディはモノコック。
ポルシェ・935
ポルシェ935/76 開発初期は丸型ヘッドライトが残っていたが最終的にはローノーズを採用
早瀬佐近が搭乗したのは約630馬力のパワーを持つ935/77
サイドから見るとよくわかるクジラの尾のようなスタイリング
935に搭載されていたターボエンジン
1976年にグループ5の規定に合うよう911ターボを元に誕生したレーシングカー。巨大なターボチャージャーを搭載しており、圧倒的な強さを誇った。「76」「77」がフラットノーズなのに対し、「78」はモビー・ディック(白鯨)と呼ばれたテールが特徴。
マツダ・サバンナ(RX-3)
サバンナGT 5作目のロータリーエンジン搭載車
1971~1978年生産、クーペはサバンナRX-7の先代モデルといえるが、セダンやステーションワゴンもラインアップしていたロータリーエンジン専用車。海外ではRX-3の車名。「ロータリー使い」片山義美の活躍も鮮烈な印象を与えた。
ポルシェ928
ポルシェ928(1981年型の初期モデル)
1978年に市販化されたラグジュアリーな2ドアハッチバック。駆動方式はFR、水冷V8エンジンを搭載。ドアやボンネットには軽量化のためにアルミニウムを採用。5速MTとメルセデス・ベンツ製3速ATが存在したが、日本ではATが主流だった。
シボレー・コルベット
1974年式C3コルベット・スティングレイ(クーペ)
1954年生産開始、今も世界で愛されているアメリカの名機。『サーキットの狼』では1968~1982年生産、「コークボトル(コーラ瓶)」の愛称があるC3が登場。2020年のC8は歴代初のMRという革新を遂げている。
トヨタ・スターレット
初代スターレットは直線を取り入れた斬新なエクステリアが特徴
1973~1978年生産の初代スターレット。当時の国産車としては珍しい直線デザインを採用。ラリーやジムカーナなど幅広く活躍し、富士スピードウェイでは初代シビックや2代目サニーなどとしのぎを削っていた。
「池沢早人師・サーキットの狼ミュージアム」には本物のスーパーカーが多数展示中!
『サーキットの狼』読者におすすめのスポットが茨城県神栖市ある「池沢早人師・サーキットの狼ミュージアム」です。
『サーキットの狼』の作者である池沢早人師(池沢さとし)さんが名誉館長を務めており、ロータス・ヨーロッパ・スペシャル、ポルシェカレラRS2.7、ディーノ246GT、トヨタ2000GT、ランボルギーニ・カウンタックLP400S、ランボルギーニ・ミウラP400S、フェラーリ・512BBiなど、漫画にも登場した名車スーパーカーが勢ぞろいしています。
スーパーカーのフォルムは、個性的かつ洗練された美しさがあるので、実物を見たときの感動もひとしお。ミュージアムは基本的に土日祝日のみの開館で、臨時休館もあるので、事前確認したうえで訪問することをおすすめします。